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おはこんばんにちは!今日もポジティブにズボライフ!ちゃんもちです。
ヤングケアラーと呼ばれる子ども達がいるのを、あなたは知っていますか?
わたしが学生の頃にはまだヤングケアラーという言葉はなかったように思います。(知らなかっただけかも?)
しかし今思い返せば、わたしはヤングケアラーだったのだなと感じました。
今日はわたしがヤングケアラーとして当時抱えていた悩みを中心にお話していきます。
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ヤングケアラーとは
18歳未満の子どもが、大人がこなす介護やお世話などを任されている状態を言います。
ヤングケアラーだった筆者
高校生の頃、わたしは今でいうヤングケアラーという状態でした。
両親はわたしが幼い頃から激務で帰りが遅く、帰宅は日付を跨ぐことが殆どでした。
中学生の頃に祖父が亡くなってからは、夕食は祖母と二人っきりでとっていました。
その夕食の準備も、中学時代からわたしが毎日していました。
祖父が亡くなる少し前から始まりかけていた祖母の痴呆症は、わたしが高校生になる頃には急激にすすんでしまっていたのです。
食べたことをすぐに忘れて「夕食はまだ?」と聞かれるのはあるあるかなと思うのですが、これが地味にイライラするんですよね。
高校生になってからは、学校に持っていくお弁当も自分で用意していたので体感的にずっとご飯の用意をしている感じでした。
食事の準備だけでなく、洗濯や掃除などの一般的な家事は全てわたしの仕事だったんです。
そのような事情から家に帰りたいと思えず、学校帰りに友達と無駄に寄り道をすることも多かったです。
そして祖母の痴呆がいよいよすすみだしてからは、入浴介助もしていました。
当時抱えていた悩み
痴呆がすすむと会話がかみあわなくなったり、頓珍漢な発言がどうしても増えます。
そうした少しずつの積み重ねが介護者をイラつかせるということを、実際に経験してみて初めて知りました。
しかしこういうイラつきなどの問題は、全く想像できていませんでした。
そして何より、身内だからこそ腹が立って仕方なくなることがあるんです。
腹が立って腹が立って、あんなに大好きだった祖母を叩きたくなったりしたことも一度や二度ではありません。
実際に手を出すことはしませんでしたが、あまりの腹立ちに物にあたってしまったことは何度もあります。
小さな頃あんなにお世話になったのにと後で自己嫌悪に陥るのですが、怒りで頭がいっぱいになっているときはそんなことを考える余裕すらありませんでした。
自分は頭がおかしくなったんだろうか?
自分はこんなに怒りで何も見えなくなる人間だったのか。
そんな風に悩んで悩んで、泣きながら眠ることも日常茶飯事になっていました。
このような経験をするまでは「介護殺人?家族間なのにありえない」「元々そういう粗暴な性格の人間だったんだろう」なんて思っていたわたし。
家族だからこそ、身内だからこその辛さがあるだなんて想像もしませんでした。
精神的に未熟だった過去を思い返すと、恥ずかしさで顔から火が出そうです。
自分一人では手におえない
高校生とはいってもまだ子供。未熟です。
大人でも苦悩を抱え、取返しのつかない事態にまですすんでしまうことのある介護や育児。
介護殺人・育児ノイローゼによる虐待など、悲しいニュースを聞く日もあります。
そんな大人でもしんどい介護や育児を、子どもに多く背負わせるのは不可能だとわたしは思います。
実際にわたしも「このままではいつか手を出してしまうかもしれない」と感じて、両親に助けを求めたのです。
結局わたしの場合は父が家で仕事をすることが出来るように開業をしてくれたお陰で、介護の負担を一人で背負う必要がなくなりました。
わたしがまさかそれほどまでに追い詰められているとは、両親も想像していなかった様子。
話をすることの重要性に改めて気づかされた瞬間でした。
今現在悩んでいるあなたへ
ヤングケアラーとして悩んでいる現代の子ども達に伝えたいのは、困っていることがあるなら一人で溜め込まず誰かに話して助けを求めてほしいということ。
なるべくならば実際に手助けをすることが出来る立場の大人であるのが望ましいですが、頼れる大人だとあなたが思うのなら誰でも良いと思います。
わたしのように両親が激務で話をする暇なんてないと思う場合でも、まずは学校の先生や地域の信頼できる大人、相談窓口などに話をしてみてください。
相談窓口としては以下のようなものがあります。
ヤングケアラーなど子どもの福祉だけではなく、子どものあらゆるSOSに関する様々な相談を受け付けています。
他にも地域ごとの相談窓口などがあるかと思います。
ご自身のお住まいの「地域名 ヤングケアラー 相談窓口」などのキーワードで検索をしてみてください。
おばあちゃんとの笑える思い出
悩み多きヤングケアラー生活ではありました。
しかし苦悩を抱えた日々の中でも笑える思い出はちゃんと残っています。
祖母は痴呆がすすみだすと、わたし達には見えないものが見えるようになりました。
窓から外をずーっと覗いているので「何をしてるの?」と聞くと中空を指さして「あそこで高校生が三人並んで歌っているの。」と返事が。
だんご三兄弟かなんかか?と思ったけど口には出しませんでした。ちょっとだけ頬が緩みました。
またある時に超がつくほど怖がりなわたしの背後を指さして、
「〇〇ちゃんの後ろに赤い女が!」
と叫ぶ始末。
「えええ!!?」と大慌て+物凄いスピードで振り返って確認したのは言うまでもありません(笑)
勿論何もいませんでしたが、なんだか背筋がぞわっとしたのはよく覚えています。
怖い物見たさで心霊系は好きなのですが、自分自身の性質としては極端なビビリ症。
自分自身に関わるような心霊現象(?)はノーサンキューなわたしです。
イライラしてしまうこともありましたが、今思い返すとこういう笑える出来事もそれなりにあったのが当時救いになっていたのかもしれません。
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最後に
今日は実際に介護を通してヤングケアラーを経験してきたわたしが、当時の悩みを中心にまとめました。
わたし自身は最終的に両親が協力をしてくれましたし、恵まれていたのだと思います。
でも社会には救いを求められず、苦しんでいる子ども達がいる。
今実際に悩んでいる子ども達の背を、少しでも押せたらいいなと思います。
わたし達みんな、たった一度っきりの人生です。
介護をされる側もする側も、どうか後悔のない人生にしてほしい。
自分の人生の主役は自分です。ストレスだってあるけれど、概ね楽しい人生だったと言えるようにしたいもの。
今実際に悩んでいるあなた、誰かを頼ってください。遠慮しなくていい、あなたはまだ子どもなのだから。
子どもを守るのが、我々大人の役目です。どうか、楽しいと心の底から笑うことのできる日々を早く取り戻してくださいね。
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