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おはこんばんにちは!今日もポジティブにズボライフ!ちゃんもちです。
今日は人の命について、思うことを自由に書きたいと思います。
ちょっといつもとは違ったテイストなのですが、唐突な自己満足の自分語りということでお許しください。
全ての人に大切にしてほしいものを、ありったけの思いで書き綴ります。
よければ是非、聞いていってください。
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あなたは、人の命ってどういうものだと考えていますか。
わたしは人と手をつなぐ間の記憶にあると感じでいます。
大切な人を大切におもって、相手もまた自分を大切にしてくれる。
日常ではそういうことは当たり前になってしまってついつい忘れがち。
だけどふとした瞬間に、かけがえのない存在であることを実感する。
そんな関係の中に、人の命というものがあるのではないだろうかと思うのです。
わたしは、最愛の祖父が亡くなった日からもう20年以上ずっと人の生き死にについてぼんやりと考えてきました。
祖父は癌でなくなっているのですが、最後まで気丈で立派な人間のまま逝きました。
後ろで先生や看護士さんが見守る中、人目もはばからず祖父に縋ってわんわん泣いていたのは今もまだ鮮明な記憶として残り続けています。
わたしは祖父が亡くなった日から、癌についてもずっと考え続けてきました。
どうして、自分自身を攻撃してしまうのだろうとか。
癌で死ぬことは、準備ができるということである意味幸せと言えるのだろうかとか。
癌で死ぬことは、寿命と言えるのだろうかとか。
考えても答えは出ませんが、とにかくずっとずっと考えてきました。
そして、癌宣告をもし受けたら、たたかわずにいようということも決めていました。
いろんなことを調べたり、考えたりする間に…
癌と一生懸命にたたかって、壮絶な最後を迎えた方々の記録を見たからです。
端的に、そういうことがとても怖かった。
正々堂々とたたかった人たちの勇気は凄いです。
それを支えたご家族も。
そういう風に自分の意志をしっかりと持ったうえで人として生きて、人として死にたいと強く感じました。
たたかわない、という意志に関しては今も変わってはいません。
今現在なにか大病を患っているという訳ではないのですが。
少しだけ身体の調子が優れないときに、そんなとりとめもないことを考えています。
元々心配性なので、何か不調があるとすぐ調べて不安になっているのですが。
幸い今のところは何も問題なさそうです。
今回、どうしてこんな答えのでない話を書こうと思ったか。
それは身内が癌宣告を受けたからです。
何も症状などありませんでした。
今だって元気そのものです。
けれど、ステージⅣの転移癌でした。
もう手術は出来ませんし、化学療法しか選択することが出来ません。
どういう方向でやっていくのかはまだ決まっていません。
身内の年齢はまだまだ寿命とは程遠いです。
死を見つめて生きたことなどないと口にしていました。
今はまだ、信じられない気持ちでいっぱいだと思います。
そして今は癌宣告を受けた本人以上に、家族が打ちのめされています。
今まで一度も涙など見たことがないのに、震えるほどの涙を流していました。
慟哭です。
更なる慟哭と孤独を見据えて、泣いていました。
どう支えて良いか、どう言葉をかけてよいか。
何もわかりません。
自分の心配ばかりで、自分の死のことばかり考えてきたわたし。
身内の死については目をそらしていました。
考えないようにしていました。
祖父が亡くなったあの日から、身近な人がなくなる訳がないと辛さから目をそらし続けたのです。
当然、ずっと近くで笑いあえるものだと何故か信じて疑いませんでした。
わたしはこれから、闘病生活を送る支えをします。
どれほどのことができるかはわかりません。
でも出来る限りのことはしたいと考えています。
闘う気持ちを折ってしまわぬよう、わたしは絶対に人前では泣かないようにしたいです。いや、します。
たたかうにしろ、たたかわないにしろ…
本人がどちらを選んでもわたしはやれる限りのことをしていきます。
少しでも辛くない生活を送ることができるように。
少しでも長く、楽しい日々を送ることができるように。
打ちのめされた家族ごと支えられるよう、精一杯のことをしたい。
そして少しでも多く、笑っていられる時間を増やしたい。
悔いは必ず残ります。でもそれも少しでも、少なくなるように動きたい。
今回のことは、本当に青天の霹靂でした。
当たり前は、やっぱり当たり前なんかじゃなかった。
当たり前の日常ほどありがたいものはこの世にありません。
隣にいる家族を大事にしてください。
喧嘩をしてもすぐに仲直りして。
次の瞬間にはお互いがふきだすくらい、はじける笑顔を脳に焼き付けてください。
喧嘩別れなんて寂しすぎる、誰にも絶対にあってはいけない。
自分より若いから自分が先に死ぬ?
わかりませんよ、そんなことは。
いつなにが、だれに起こるかなんて何もわかりません。
今日と同じ明日を確約することなんて、誰にも出来ないのだから。
言い過ぎたらすぐ折れるんです。
プライドなんていらない。
よく考えて、それって命がかかっていても曲げてはいけないものですか?
謝って仲直りをする。
明日すればいいでは遅いかもしれない。
綺麗事と言われてもいい。
後悔をしないよう、日々を大事に大事にしてください。
思春期で親がうざいとか、ギスギスしてて連れ合いがうざいとか家族の中ではいろんなことがあると思います。
でもそれでも、なんとかして今日という日常を大事にしてほしい。
当たり前に訪れた今日は、真綿でくるんで大切にしまいこまないといけないほどかけがえのないものだからです。
後悔先に立たず。これだけは、心に刻んでおいてください。